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やる気ゼロ応援団

雑記

こんにちは、ゆんつです。

夏の甲子園のシーズンです。

僕はプロ野球はほとんど見なくなりましたが、夏の甲子園はなるべくテレビで見たりラジオで聞いたりするようにしています。

高校生が汗と泥にまみれて一生懸命にプレイしているのを見ると

ゆんつ
ゆんつ

青春っていいなあ

と思います。

そして僕の高校時代を思い出します。

僕は高校時代は帰宅部だったので野球はしていません。

でも高校1年生の時に応援団に入れられて、スタンドで応援させられたことはあります。

今日は、その応援団のことについて書こうと思います。

僕の高校の応援団

僕の通っていた高校には、年間を通して活動する応援団はありませんでした。

応援団は高校野球の県予選が始まる1月前に作られるのです。

野球部は毎年30点くらい点を取られて1回戦でコールド負けするほど弱かったので、応援団を公募をしても誰もやる人がいません。

ですので、各クラスでくじ引きをして不運にも当たりくじを引いた奴が強制的に応援団をやらされる仕組みになっていました。

当然僕は当たりくじを引き、応援団に入らされました。

応援団の結成式に出席すると各学年、各クラスから色々な犠牲者が集まっていました。

無理やり選ばれたので、全員やる気ゼロです。

年功序列で3年生が団長になるんですが、誰もやりたがりません。

結局そこでも3年生同士でくじ引きが行われ、当たりを引いた人が団長と副団長をやることになりました。

こんな応援団なので団長も副団長もやる気が無く、応援練習もいい加減で欠席者も多かったです。

そもそも応援団なのに団長も副団長も小声なのです。

ただ「学ランとハチマキをしているだけ」と言うようなコスプレ応援団でした。

試合前日

試合前日に最後の応援練習がありました。

最後の練習なので、応援団全員が強制参加でした。

練習が始まる前に団長と副団長は

男性
応援団長

今からじゃ遅いかもしれないけど、応援団をするなんて一生に一度のことなんだから全力で思い出に残るような応援をしようぜ!

なんてことを言い始めました。

それまでの団長と副団長からは信じられない発言です。

前日に青春ドラマでも見たのかもしれません。

最後の練習では団長も副団長も別人になったように大声を張り上げ、僕たちに対する指導もいつもよりも厳しかったです。

試合当日

試合当日、集合場所に集まると団長と副団長の声は潰れて、ほとんど出なくなっていました。

それまでダラダラ練習していたのに、前日に目いっぱいの大声を出したのだから当たり前の結果です。

しかも、団長も副団長も前日の張り切りすぎで微熱があるらしく、グッタリして使い物にならなくなっていました。

他のメンバーがサポートできればいいのですが、団長と副団長しか出来ないことがあります。

各選手には応援フレーズがあって、例えば1番バッターが山本君なら

「走れ走れ山本、はやてのようにかけぬけろ」

というような感じで、その選手の特徴を織り込んだフレーズをリズムに乗せて言うんですが、これを団長と副団長以外はきちんと暗記しておらずうろ覚えなのです。

応援団がこのフレーズを言った後に、応援に来ている人たちがそのフレーズをなぞって言うので間違えられません。

団長と副団長の声が出ないので、応援フレーズの音頭をとれる者が誰もいない状態です。

団長や副団長、それに3年生の応援団員が球場に向かうマイクロバスの中で会議をした結果出た結論は

応援フレーズや難しいことは一切はやめて、吹奏楽部が演奏している曲目に合わせて大声で歌うだけにしよう

ということになりました。

試合が始まります。

相手チームの応援団は相当な練習をしたようで一糸乱れぬ動きで応援を始めます。

観客も応援団の動きとシンクロしながら応援し凄い熱気です。

僕たちの高校の野球部は弱小チームなので1回の表で10点以上とられました。

僕たちの高校の攻撃になりました。

僕たち応援団は演武が出来ないので、ただ学ランを来て直立不動で手を体の後ろに組み吹奏楽部の演奏する曲に合わせて大声で歌いました。

応援団でもなんでもなく、ただの珍妙な合唱団です。

観客も僕らの応援とはまったくシンクロせず、死んだ魚のような目で試合を見ています。

試合は30点以上点差をつけられてコールド負けでした。

一生懸命やっておけばよかった

こんな応援団でも、先生からも叱られないし誰からも苦情がくることが無かったので、野球部も応援団も全く期待されていなかったんでしょうね。

ある意味では気楽で、ある意味では悲しいことだと思います。

今になって

ゆんつ
ゆんつ

僕もあの時に、一生懸命応援をしておけばよかったなあ

と反省させられます。

応援団で応援するなんて一生に一度しかない経験ですから。

もし応援団がもう少し頑張っていれば。

20点差くらいで済んだかもしれません(笑)

それでは、またー。

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