こんにちは、ゆんつです。
芸術の秋です。
各地で芸術的な催しが行われています。
たいていの学校では10月、11月は文化祭が行われます。
文化祭では普段は目立たない子がバンドやお笑いをやったりして一躍脚光を浴びたりすることができる一大イベントです。
僕も中学3年生の時にバンドに誘われて文化祭に出演しようとしたことがあります。
今日はその思い出について書きます。
始まり
夏休みも終わった2学期。
いつもの仲間で帰宅していると友達のN君が言いました。
「中学時代の思い出に文化祭でバンドやらない?」
発言した彼を除く全員が驚きました。
僕たちはバンドなんてするようなキャラじゃないからです。
おまけに本番の11月まで2カ月しかありません。
でも皆心のどこかで「学生生活で一度は目だってみたい!」という気持ちがあったようで、僕たちは学園祭に向けて急造のバンドを組むことになりました。
言い出しっぺのN君はベースが少しできたのでバンドのリーダーでベース。
僕たちの中で一番見た目がマシで背が高いK君は家に父親のギターがあるのでボーカルとギター。
一番のデブで和太鼓を叩いた経験があるM君がドラム。
僕は小学校1年から6年までエレクトーンをやっていたのでキーボード。
こんなメンバーなのでやる前から酷い演奏になるのは目に見えていますが「中学時代の思い出作り」ということで皆大盛り上がりで担当を決めました。
その日から僕たちは一番家が大きいN君の家に毎日集まって練習をすることにしました。
メイクしよう
僕たちがバンドをしようとしていた頃はメイクをして歌ういわゆるビジュアル系というのがヒットしている時代でした。
練習初日、全員が集まるとベースでリーダーのN君が「バンドやるんだったらメイクもしようよ」と言い始めました。
さすがにこれは誰も賛同しませんでした。
なぜなら僕たちはビジュアル系と真逆の顔をしていたからです。
でもN君はどうしてもビジュアル系になりたいらしく「ちょっとだけメイクしようよ。せっかくの晴れ舞台なんだし」と言って聞きません。
結局N君に押し切られる形で翌日それぞれが親や姉からメイクの道具を借りてN君の家に持ち寄ることになりました。
結局その日はメイクや髪形の話ばかりで何の練習もしませんでした。
次の日
N君の家の鏡台の前に座り皆持ってきた道具を貸し借りしながら思い思いに塗っていきます。
やり始めると結構楽しく皆でメイク途中の顔を見合わせて大笑いしたりしながらメイクを完成させていきました。
開始から30分後。
とんでもないドブスが4人出来上がっていました。
誰もメイクをしたことがないので仕方ないんですが、口紅ははみ出てるしファンデーションの付ける加減が解らずに真っ白になっています。
全員がオカメのような顔をしているのです。
その日から僕たちは雑誌やテレビをみてメイクの練習も始めました。
一方楽器の練習はサッパリ進みません。
そもそもギターとベースはあるけどキーボードとドラムを誰も持っていないのです。
本番は学校のドラムとキーボードが借りれますが普段は使えないのです。
僕の家にエレクトーンはありますが流石にそれを持っていくことは出来ません。
仕方ないので僕は「何もないよりマシ」ということで小学校の時のピアニカを持参し、ドラムのM君はスティックだけ買って座布団を叩いていました。
こんな感じでまずN君の家に集合したら1時間くらいメイクをして1時間くらいバンドの練習をするようになりました
そして・・・
いつのまにか僕たちはメイク練習9:バンド練習1の割合になっていました。
というかメイク練習9.5:バンド練習0.5の日も珍しくありません。
おまけにN君が家のクローゼットから母や姉の服やアクセサリーを借りてきて、皆でメイクをして順番にその服を着てアクセサリーを付けるありさまでした。
もうバンド練習でも何でもないただの女装同好会です。
文化祭1ヶ月前
バンドなどの出し物をする生徒は申込用紙に記入して学校と生徒会に申告しなければなりません。
女装ばかりしていた僕たちは既に「バンドがやりたい」という気持ちはゼロになっていて申込用紙を提出しませんでした。
そして文化祭前にはメイク熱も冷め、まるで女装のことは夢だったかのように皆日常生活に戻ったのです。
あの時のメンバーのうち1人とはいまだに友達付き合いがありますが、お互いにあの時の話をすることはありません。
黒歴史もいいところだからです。
僕に墓場まで持っていく秘密があるとすれば、バンド練習に名を借りた女装同好会がそれに該当するでしょう。
それでは、またですー。
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