こんにちは、ゆんつです。
お盆になりましたね。
お盆と言えばつきものなのが「お墓参り」。
家族で先祖の墓を参る人も多いのではないでしょうか。
きちんと整備された霊園にあるお墓の場合は、お墓参りも楽にできます。
でも、整備された霊園がないような田舎の場合、お墓参りは結構大変です。
今日は、僕の田舎のサバイバルな墓参りについて書きたいと思います。
サバイバルな墓参り
僕の父方の一族の墓は山の中にあります。
整備がほとんどされていない、雑木林だらけの山の中です。
当然、きちんと整備された道があるわけがなく、人ひとり分の幅の道しかありません。
その道も、親戚同士で協力して、お盆前と正月前の年に2回、人が歩けるように草刈りをして作っているのです。
でも、これでも昔よりはマシになりました。
今から20年以上前は草刈りをする人がおらず、墓参り当日にナタを持った叔父が先頭に立ち、うっそうと茂った草木を薙ぎ払いながら進んでいたのです。
腰からナタをぶらさげて墓参りに行く叔父の格好は、「墓参りに行く」というよりも「大冒険に行く」と称するほうがふさわしいくらいのものでした。
墓までの道のりは赤土の斜面。
足元に気を付けて、滑らないように登っていきます。
数年前、祖母が足を滑らせて転落しそうになり、墓参りにきたのに、あやうくお墓に入りそうになったこともあります。
そんな道を20分くらい進んで、ようやく墓に着くのです。
正直、僕のご先祖様がなんでこんなところに墓を作ったのかさっぱりわかりません。
しかも、水道もないので、男性陣は掃除用の水を何リットルも担いで登らないといけないのです。
墓の周りの草刈りと掃除をして、お墓に向かって手を合わせる時には全員汗びっしょりで、肌が露出している場所はヤブ蚊にさされまくりです。
墓参りを終える頃には全員疲労困憊で、ほうほうの体で下山するのです。
お墓はいらないな
僕は30年以上、こんなサバイバル要素たっぷりな墓参りを盆と正月の年2回してきました。
そして、つくづく思うのは
僕は、お墓はいらないな
ということです。
不便な場所にある墓を守るのはとても大変ですし、便利な場所にあっても墓を守るのには多少の負担があります。
生きている家族にそういう苦労をさせたくありません。
先祖を大切に思う気持ちがあれば、お墓と言うものにこだわる必要はないんじゃないかと僕は思います。
ですので、僕は家族に言っていることがあります。
もし僕が死んでも墓はいらない。
その変わり、骨をアクセサリーにして、必ず1人1個は身に着けて、時々僕を思い出して欲しい。
これを聞いた家族は
頼むから一番最後に死んでくれ!
と言ってました。
それでは、またですー。
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