こんにちは、ゆんつです。
僕は高校時代と大学時代に、20種類以上のアルバイトをしたことがあります。
アルバイト先の業種は様々で、接客業から建設業、工場など多種多様。
とにかく、自分ができそうな仕事なら、選ばずに幅広くやりました。
今日は、そんな僕のアルバイト経験のなかで、「一番きつかったアルバイト」について書きたいと思います。
印刷工場の夜勤
大学に入学して、ゴールデンウィークも明けた頃。
僕の生活費は早々にピンチを迎えていました。
このピンチを乗り切るため、大学の学生課で「稼げそうな」アルバイトを探すことが日課になっていました。
大学の学生課の掲示板には、学校経由で募集されているアルバイトの求人がずらっと貼り出されています。
それらの求人の中に、前から気になっているものがありました。
月曜日から金曜日までの5日間短期の深夜勤務で時給1,500円の印刷会社です。
都会ならまだしも、地方都市でこの時給は破格です!
食品製造工場の夜勤でも時給1,000円くらいなのに1,500円!
しかも往復の交通費まで出るのです!
掲示板に貼られているアルバイトの求人の中で最も時給が高く、稼ぎたい僕にとっては申し分のないアルバイトです!
でも1つだけ疑問もありました。
普通、良い求人はすぐに応募者が現れて採用人数の枠が埋まるので、すぐに求人が掲示板からはがされます。
でも、その印刷会社は採用人数欄が空白で、いつでも掲示板で短期アルバイトを募集しているのです。
少し悩みましたが、僕は学生課の人にその印刷会社の求人に応募したい旨を伝えました。
すると学生課の人は
ここは仕事がきついらしいけど、ちゃんと5日間できる?
と聞いてきました。
僕は、生活費が厳しかったので深く考えずに
出来ます!
と力強く返事をしました。
学生課の人が会社に連絡をし、面接すら無く即採用となり、翌週の月曜日の夜から働くことになりました。
頑張るぞ!
僕が任された仕事
アルバイト開始当日。
学生課の人が印刷してくれた地図を頼りに工場に向かいました。
最寄り駅を降りて歩いていくと工場群があり、その中にアルバイトをする印刷会社がありました。
事務所に行き、学校が発行してくれた紹介状を渡すと、すぐに僕が働く場所に連れていかれました。
働く場所は体育館のように広く、ひっきりなしに印刷の機械とコンベアが動いているような場所でした。
社員が僕に仕事の説明をします。
僕がやる仕事は
- コンベアで100部ずつ流れてくるパンフレットなどの印刷物を紐かけ機に運ぶ
- 紐かけ機のペダルを踏んで十字に紐をかける
- 紐をかけた印刷物をパレットという台まで運んでピラミッド状に積む
という作業でした。
最初の30分間は社員と一緒に作業をし、紐かけ機の使い方やパレットへの積み方、コンベアの停止方法を習いました。
そして、30分も経過すると社員は
じゃあ、がんばって
言い残してどこかに去っていき、そこからは僕一人で作業することになりました。
だだっ広いスペースには僕一人です。
20分に1回、フォークリフトに乗った社員がやってきて、ピラミッド状に印刷物が積まれたパレットをどこかに運んでいきます。
仕事自体は全く難しくなく、同じことを淡々と繰り返すだけです。
地獄だ!
1人で作業を始めた途端、この仕事の本当のきつさが理解できました。
印刷物に紐かけをしたり、パレットに積んでいる間もコンベアはずっと止まりません。
絶え間なく印刷物の束が流れてきます。
どこかの工程で少しでも手間取ったりすると、印刷物の束がコンベアの出口2つも3つもたまっていきます。
社員と2人で作業をしているときはこなせる作業量でしたが、1人でこなすには体を酷使しないと無理な作業量なのです!
どうしても印刷物が捌けないときは、一旦停止ボタンを押してコンベアを停めることもできますが、何度も停めるとフォークリフトに乗ってる社員から怒られます。
社員はフォークリフトでパレットを運ぶのが専門で、印刷物の束がコンベアの出口で滞留していても一切手伝ってくれません!
作業に追われる僕を、缶コーヒーを飲んだりスポーツ新聞を読んだりしながらフォークリフトから眺めています。
しかも、印刷物の束は紙とは言え結構重たいんです!
その重たい束をコンベアから紐かけ機まで運び、そこからさらにパレットまで運ぶのです。
ピラミッドは、下段を積むときはいいのですが、3段目くらいからは腰から上の高さになるため持ち上げなければならなくなり、上段になればなるほど腕の力が必要になります。
コンベア ⇒ 紐かけ機 ⇒ パレット
を休む間もなく、ネズミのように動き回りながら思いました。
これは、地獄だ!
と。
腕が限界!
4時間作業して休憩になりました。
コンビニで弁当を買い、工場近くの薄明りの公園のベンチで弁当のフタを開けました。
さあ、食べよう
と箸を持つ僕の手に異変が!
作業で力を使い過ぎたのか、手がブルブル震えてしまい、弁当のおかずがつかめないのです!
僕は震える手で、いつもの倍の時間をかけて弁当を食べました。
やめたい・・・
休憩が明けて、さらに4時間と同じ作業を続けました。
仕事が終わり、朝日が昇るなか工場を出た僕の頭の中には
やめたい・・・
という言葉が渦巻いていました。
帰宅して風呂にも入らず、夕方の授業に間に合うように目覚ましだけはセットしてベッドに入りました。
目が覚めると、どうやら目覚ましを止めてしまったらしく、すっかり夜になりもうアルバイトに行く時間です。
「行かない」ということも頭をよぎりましたが、学生課から紹介されたアルバイトをバックレると紹介してもらえなくなるので、渋々アルバイトに行くことにしました。
全身が筋肉痛で痛くてたまりません。
8時間の地獄を経て帰宅し、日中は起きられないので学校へは行かず、夜になったらアルバイトに行くというのを金曜日まで続けました。
最終日の就業が終わった土曜日の早朝。
事務所に行くと、5日分の給料が用意されていました。
やったぜ!
ここで稼いだバイト代は、まさに血と汗と涙の結晶なので、いつも以上に大事大事に使いました。
友達思いな僕
バイトが終わって少しして知り合いから
学生課に貼ってある印刷工場の夜勤バイトに応募しようと思うんだけど、お前やってたよね。
きついらしいけど、どんな感じの仕事するの?
と聞かれました。
僕は
- 仕事は簡単でそれほどきつくない
- もし仕事が遅れても、社員が優しいので助けてくれる
ということを彼に伝えました。
彼は喜んで、あの印刷会社の夜勤アルバイトに行きました。
次の日の早朝。
激怒した彼から
お前許さんからな!
という電話がありました(笑)
でも、彼もバックれずに5日間立派に勤め上げました。
そして彼も、僕が彼にしたように、彼の友人にその印刷工場の素晴らしさを伝え、夜勤に送り込んでいました。
いつしか僕たちのなかでは、その印刷工場のアルバイトを知り合いに紹介することを
「地獄送り」
と名づけ、沢山の友人に同じ目にあってもらいました。
あの夜勤を思えば何でもできる!
その後、色んなアルバイトをしましたが、どんなアルバイトも
あの印刷工場の夜勤に比べたら全然楽だ!
と思えたので、途中でやめたりすることはありませんでした。
経験というのはどんなものでも無駄にならないものです。
大学に入って初めてのアルバイトが一番きつかったことが、案外その後のアルバイトに良い影響をもたらした気がします。
でも
じゃあ、もう1回あのアルバイトする?
と聞かれたら、大声で
いやだ!
と答えます(笑)
それでは、またー。
コメント
後半ゴミクズ過ぎるな
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りのゴミクズでございます。