こんにちは、ゆんつです。
山口県下関市と北九州市門司区を結ぶ関門海峡。
その関門海峡を結ぶ関門橋の下関側の付け根のあたりに「みもすそ川公園」という場所があります。
うっかりしているとただ通り抜けてしまいそうな「みもすそ川公園」ですが、歴史的に大変重要な場所で、秘かな観光スポットでもあります。
今日は
について書きたいと思います。
みもすそがわ公園
みもすそ川公園は関門海峡に面しており、関門海峡や関門橋を一望できるとても景色の良い公園です。
また歴史の移り変わりのきっかけとなった場所でもあります。
長州砲
みもすそ川公園でまっさきに目に入ってくるのがこの長州砲のレプリカです。
1863年5月、長州藩は関門海峡を通行するアメリカ、フランス、オランダの艦船に次々砲撃を浴びせます。
いわゆる下関戦争の始まりですが、そのときの長州藩の主力であったカノン砲のレプリカが5門配置されています。
この5門のうち中央の大砲は9:00~17:00までの毎時丁度に空砲音が鳴ります。
また毎時丁度に間に合わずどうしても空砲音が聞きたい場合は、9:00~17:00までの時間内なら好きな時間に100円入れると空砲音を聞くことが出来るようになっています。
僕も長州人の端くれなのでアメリカ、フランス、オランダの船が通りがかった瞬間に、この空砲を鳴らしてみようと100円を握りしめて海を眺めていましたが、どの船がどの国の物かわからず断念しました。
壇の浦古戦場址と安徳帝御入水之処碑
1185年4月、関門海峡の海上で源氏と平家が最後の決戦をします。
それが壇ノ浦の戦いです。
この戦いで源氏が勝利を収めます。
この時の天皇は安徳天皇。
平清盛(たいらのきよもり)にかつがれ1才3ヶ月で即位した天皇は、平家の敗北を知った平清盛の正室である平時子(たいらのときこ)に「海の底にも都があります」言われ、その腕に抱かれ入水します。
この時、安徳天皇はまだ6歳。
安徳帝御入水之処碑には「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」という平時子の辞世の句が刻まれています。
今では安徳天皇は、みもすそ川の近くにある赤間神宮に祀られています。
源義経と平知盛像
壇ノ浦の戦いの源氏方の大将「源義経(みなもと の よしつね)」と「平知盛(たいら の とももり)」の像です。
向かって左側が源義経で右側が平知盛、そしてオレンジ色の服を着た中腰の人は知らない人です。
源義経
源義経が八艘飛び(追いすがる平教経から義経がひらりひらりと身をかわしながら船を乗り移り八艘彼方に飛び去る)をしているところ
平知盛
錨を担いでいます。
逆光のため表情が上手く撮れていませんが、二人ともかなりイケメンに作られており光栄のゲームに出てくる武将風のルックスになっています。
銅像のまわりには芸能人の手形が。
タッキーこと滝沢秀明。
小泉孝太郎
松坂慶子
なぜ芸能人の手形があるのかこの時は解りませんでしたが、調べてみるとこの方たちは2005年に放送されたNHK大河ドラマ「義経」に出演されていたようです。
みもすそ川碑
「みもすそ川公園」に来た人は「川なんか流れてないじゃないか」と思うかもしれません。
元々みもすそ川公園は関門海峡に流れ込む小さな川だったそうですが、現在河口は公園と国道の下を流れていて見えないそうです。
この橋はみもすそ川の名残みたいなものですね。
アクセス
駐車場は道路挟んだところにある関門トンネルの人道の駐車場くらいしか無いと思います。
まとめ
みもすそがわ公園は規模としては小規模な公園ですが、「壇ノ浦の戦い」「下関戦争」と歴史上の転換点となったとても歴史のある場所です。
碑や大砲を見て当時に思いを馳せるのも良いですし、ただぼんやりと海を眺めるのも楽しいです。
みもすそがわ公園の前の海は関門海峡のなかでも最も幅がせまく潮の流れが速くて潮流の変化が激しい場所です。
この速い潮の流れを行きかう多数の船を見るだけでも価値があると思います。
みもすそ川公園から横断歩道を渡ってすぐの場所には関門トンネルの人道入り口があります。
人道は世界的にも珍しい歩いて渡れる海底トンネルです。
もしみもすそ川公園に来ることがあれば、是非少しだけ足を延ばして人道も歩いてみてほしいです。
歩いて10分程度で対岸の門司に着きます。
僕が人道を歩いた記事もありますので、もしお時間ありましたら見ていただけると嬉しいです。
それでは、またですー。
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